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私の病名はPH陽性急性リンパ性白血病(腫瘍型)です。
2017年8月に悪性リンパ腫と診断され治療を続けてきた私は、同年11月にPH陽性急性リンパ性白血病に診断が変わりました。
それがきっかけで病院への不信感や抗癌剤の副作用で、一度は治療に背を向け入院中の病院から家に帰り死の決意をしました。
その後、このまま死の方向へ進むことを考え改めて、もう一度治療を新たな病院で再開しました。
このブログはその記録を綴っています。
前回の記事はこちらです👇
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2つの選択の答え(生検術か針生検)
翌日、骨軟部腫瘍科(整形)の受診に呼ばれ外来に降りました。
しばらくして診察室に呼ばれ中に入ると整形の○○先生は
「主治医の○先生から聞いてると思いますが、こちらに書いてある通りそれなりのリスクは覚悟してもらわないとあきません。
まぁ、正確性は針生検の場合良くて70%、いや大腿骨の場合それ以下かも知れません。
針を刺す時に手を滑らす場合もないとは言い切れないし、そこに詳しく書いているので読んでみて下さい。
私も忙しいので針生検なら○曜日なら何とかいけるけど、○曜日は外来あるし…ぶつぶつ...」
2枚の説明書を渡され、面倒臭そうに対応されました。
この時の私は新しい病院に転院してきてPET-CTが光っていて落ち込み、だけど血液内科の主治医の対応で前に進もうと思えた。
生検術か針生検のどちらにするかずっと考えて今日診察室に来たのに、目の前の先生は面倒臭そうに話している。
この先生あんまり協力的じゃない
針生検はおろか生検術なんて任せるの嫌だ
私はそう思ってしまいました。
そして私の杖を見て
「その杖なら、殆ど免荷できてないと思うよ。
せいぜい2、3キロちゃうかな~。なくても一緒やと思うよ」
そう言われました。
この杖は私が高齢の方が使う杖が嫌だとS病院のリハビリの先生に相談して、登山用の伸縮する杖があるよと言ってくれたので、外泊で家に帰った時にmont-bellで購入したものでした。
何もかも否定されてる気がする
そう思い整形の先生に対してマイナスな印象はどんどん増して行きました。
===補足===
2019年現在の話に戻りますが、実は移植が終わり退院した現在もこの整形の先生に診察でお世話になっています。
実際はめちゃくちゃいい先生です💦
血液内科主治医ともしっかり連携をとり、3ヶ月置きにレントゲンでしっかりフォローして下さってます。
後でわかったのですが、元々、整形の先生は抑揚のない話し方だったのです。
整形の先生からしたら急に血液内科の入院患者の資料を渡され、早急に対応しなければならず、その事実を私に伝えただけなのでしょう。
===補足終わり
自分の選択により未来が変わるリスク
その時の私は気持ちに余裕がなく、勝手に整形の先生に対して悔しさが込み上げ、診察室を出る時には涙が溢れていました。
目が真っ赤になりこんな顔で病棟に戻りたくないなとしばらく廊下の端に居ましたが仕方なく病棟に戻りました。
帽子をかぶりマスクをしているから、泣いてしまった事は誰にもわからなかったと思いますが、病室に担当の看護士さんが抗生剤の点滴を繋ぎに来た時に、目が赤い事に気づいて
「どうされましたか?」
と優しく言われた時に涙がまた溢れてしまいました。
整形の診察室で感じた事を話し静かに聞いてくれた後、心理士さんが来てくれて更に話を聞いてくれました。
話す事で私も冷静になれました。
昼食の時間になり、昨日の高熱は下がっていたので気分転換にデイルームで食べました。
皆さんと楽しく食事しながら、整形の診察室であった事を少し話したら、明るいおばさん達が笑い飛ばしてくれました。
泣いてしまった事を後悔
すっかり元気になりベッドの上で整形でもらった説明書を読んでいました。
2枚の紙にびっしり並んでいる文字を見ていると、早急にこうやって説明書を作成し、起こりうるリスクも丁寧に書かれていて、私の捉え方が悪かったなと泣いてしまった事を後悔しました。
夕食後、主治医が病室に来ました。
私が泣いたことも全て知っている主治医は
「○○先生、めちゃくちゃいい先生ですから。
今回みっふぃかかさんのPET検査結果の事を持ちかけた時も快くすぐに対応して下さったし、もちろん針生検でも生検術でもきちんと対応してくれますから心配いらないです。
それで、みっふぃかかさんの考えを教えて下さい」
「私は骨折が怖いので針生検は怖いです。検査の不確実性も不安です。
でも今から全身麻酔で生検術をして回復を待ち、そこから抗癌剤となると現実的ではないと思います。
だけど、この光が何なのかをきちんと知りたいですし、本音は生検術をしてハッキリ調べてほしいです」
「わかりました。
もう一度整形の○○先生と話してみますが、みっふぃかかさんも今までコンスタントに治療を受けてこられて、次の治療が一カ月以上空いてしまうリスクをもう一度よく考えてみて下さい」
病院の連携体制について思う事
私は2017年の8月に人工股関節置換術か3カ月の免荷生活かの選択を迫られました。
当時はまだ病名がPH陽性急性リンパ性白血病ではなく、「悪性リンパ腫」と診断されたところで、移植のことも何も考える必要はありませんでした。
その後、3カ月の免荷生活に耐えながら抗癌剤治療を3クールした後に
「悪性リンパ腫ではなくPH陽性急性リンパ性白血病でした」
と診断が変わった時は崖から突き落とされた気分でした。
病気の治療というのは、提案は医師がしてくれますが決断は自分です。
今回私はPH陽性急性リンパ性白血病の寛解導入療法と2クールの治療をしたにもかかわらず、PET-CTの光が消えていない事に私はどう決断をするのか、神様に試されているような気がしました。
この時の私はこんなことを思っていました。
2017年の8月に戻って小転子部分の生検もついでにしてほしかった
2017年の8月に無理してでもPET-CTを撮影すればよかった
2017年10月に初めて撮影したPET-CTの光をもっと精査してほしかった
今回光っていたPET-CTの光が一体何なのか、過去を悔やむ自分がいました。
ここの病院に転院してきて主治医がPET-CTの光をかなり重要視している姿をみると
がんセンターの整形と血内の医師はそこまで連携してくれなかった
という気持ちがどうしても出てきます。
また、S病院に関しては治療に前向きになれたことは感謝していますが、骨に関してはやはり重要視されていませんでした。
でも、それらを選択してきたのは自分自身なのです。
過去の主治医達の提案に不服があればもっと自分で質問をしてぶつけても良かったのです。
がんセンターの頃は病気になりたてで正直よくわからなかった
S病院の時は目の前の暴れ出した白血病細胞をなんとかすることが重要だった
一晩中、このように過去の自分の選択や様々なことを思い返していると、この病院にきてやっぱり良かったと思いました。
今ここで私がする決断は未来に直結するから、自分がこうしたいという気持ちと治療のプロである医師の意見を総合的に考えて決断する必要があります。
2度の転院を経験し病気になってから時が経ったお陰で、患者である私は医師の言葉の意味を少しは理解できるようになったのかも知れません。
翌朝には生検術か針生検のどちらかの答えを出しました。
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針生検に賭けてみる決断
治療を1ヶ月も空けるリスクを考える
一晩考えて私が出した答えは「針生検にする」でした。
理由は主治医の言う通りS病院で5月から続けてきた治療を1ヶ月も空けるリスクがある生検術は現実的ではないからです。
生検術後に傷の回復を待つ1ヶ月の間に白血病細胞が再び暴れ出したら、もう移植も受けることはできないでしょう。
2017年8月の傷の痛みは相当なものでした。
生検術といえども大腿骨の骨を削るということは、かなりの深い傷を負うことになります。
そんな手術を抗癌剤治療を続けてきたこの体でするなんて、やっぱり現実的ではないのです。
PET-CTの光の正体は気になりますが、今そこまでのリスクをとってするべきではない。
整形の先生を信じて針生検で最小の傷だけで診断してもらえる可能性があるなら、そちらに賭けた方がいいと思ったのです。
主治医に針生検に決めたことを伝えるとその日の夕方に返事があり、整形の診察をもう一度受けて針生検の詳しい説明を聞いて下さいと言われました。
それから、白血球の値が相変わらず低いので針生検の2日前に、白血球を上げる注射を打ちますと言われました。
次の日に整形外来に降りました。○○先生は
「決めはったんやね。
日にちは13日の午後からTV透視室で行います。
まぁ、整形では外来患者にも何度もやってる手技なのでそんなに心配せんでも大丈夫ですから。
当日は台の上にうつ伏せになってこの辺から針を入れるので、今日ちょっと位置確認させてもらえますか?」
診察台でうつ伏せになりどこから針を入れるか教えてもらいました。
承諾書を記入して診察室を後にしました。
今日は全然嫌な感じしなかった。
この先生の抑揚のない話し方がこちらの捉え方を混乱させるんや。
そう思いながら病棟に戻りました。
痛すぎる大腿骨の針生検
白血球を上げる注射で無事に上がり針生検の当日になりました。
手術着に着替え緊張しながら待っていると遂に呼ばれました。
台の上にうつ伏せになり広範囲の消毒や他の準備をした後、いよいよ麻酔が始まり
ました(ToT)
痛いよ~😖💥
麻酔痛い😞💥
「みっふぃかかさん、本番の針入れていきますんで我慢できひんかったら言うて下さいね」
ギャーヽ(;゚;Д;゚;; )ギャァァァ
痛すぎるー(/ω\)
骨って麻酔効かんやん...
マルクとはまた違う痛さ( >Д<;)
けど、ここで止めてもらう訳にはいかん!
光の正体を調べてもらわないと..
逃げ出す訳にはいかん!!
「大丈夫?骨はあまり麻酔効かんからね~」
太ももの後ろから針が入ってるのに、太ももの前側の神経がちぎれるかと思うぐらい痛くて
「先生、前側が痛いんですけど( >Д<;)」
「何でやろな~?太い神経はないはずやのに...
あと2回くらい我慢できそう?」
「はい...(ToT)...お願いします( T∀T)」
ヽ(;゚;Д;゚;; )ギャァァァ
ヽ(;゚;Д;゚;; )ギャァァァ
※ヽ(;゚;Д;゚;; )ギャァァァは心の声です
「はい。みっふぃかかさん、よう頑張ったね。
ほら、きちんと採れてるからね」
そう言って試験管に入った血液みたいなものを見せてくれました(・・;)
これが悪性やったら私は終わり。
どうか良いものでありますように。
何とか無事に終わり病棟に戻りました。
しばらくして麻酔が切れてきて、何ともいえない鈍痛がやってきました。
杖なしではとても歩けない。
ほぼ杖に体重をかけて歩く生活が続きました。
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Hyper-CVAD/MA(ハイパーシーバッドエムエー)療法
針生検後の傷の痛みを抱えながら、次の日からHyper-CVAD/MA(ハイパーシーバッドエムエー)療法の表の治療(この病院では表・裏と表現します)が始まりました。
私が大嫌いなオンコビンがある方の治療です。
24時間点滴のメソトレキセートの方じゃなくて良かった~
この足で24時間・3日間も点滴が繋がって尿の計測なんて発狂しそう!
全身麻酔の切開の生検術を選んでいたら私どうなってただろう?
今でも杖と点滴棒に殆どの体重をかけて歩いているのに...
針の太さの傷だけでここまで痛いとは!!
針生検の傷でこんなに痛いのだから生検術なんてやっぱりしなくてよかった( ̄▽ ̄;)
2017年8月の術後の痛みを私の体はきっと忘れていたのでしょう。
数日でも生検術かどうか悩んだ自分が怖い(゚Д゚;)
オンコビンの痺れが辛い
がんセンターの頃から残っていた痺れにS病院の治療が加わり、足指先や裏の痺れはピークに達していました。
主治医に痺れが辛い事を伝えると
「私達は患者さんにプロトコール通りに治療を勧めます。
痺れには感覚低下と運動麻痺があり、オンコビンをやめるか検討するのは運動麻痺の症状がある時です。
みっふぃかかさんの場合は、歩くことができていますし感覚低下に入ります。
それでも、どうしても辛いなら減らしたりして標準治療から外れた治療を選択する権利は患者さんにありますが...
将来、もしも再発した時に標準治療を選択しなかった自分をどう思うかです。
あの時、薬剤を減らさなければよかったと後悔するより、自分は出来る限りの事は全てやったという気持ちで移植に望む方が私はいいと思いますがね」
「……先生、よくわかりました。ここまで来たのでオンコビン全量でお願いします」
主治医の包み隠さずハッキリとした言葉に、痺れがどうのとかの問題ではないんだと思いました。
一番初めのがんセンターで痺れが辛い事を伝えると
「オンコビンを減量する基準は、例えばボタンが止められない、痺れで歩けないレベル」
と具体例で説明されたけど、私には今の主治医のように先の先まで見通しがたつ説明をしてくれる方がわかりやすいと思いました。
針生検の結果と今後の説明
4日間の抗癌剤が終わった日に針生検の結果がわかる予定だったので、主治医から家族を含めて説明がありました。
主人・主人の母・私の母・私の姉が一緒に説明を聞きました。
- 挨拶・自己紹介
- Hyper-CVAD/MA療法の説明
- 私のPET-CTの現状
- 移植の一般的な説明
- 針生検の結果
針生検の結果、PET-CTで光りが濃かった小転子の部分は白血病細胞でも他の悪性腫瘍でもないと診断されました。
2017年10月のPET-CTとS病院の治療2クール後に撮影したPET-CTを比べて、光り方が弱くなっていた部分は今後のこの病院での治療2クールで消えていくと仮定して治療を進めることになりました。
これで無事に移植は出来る事になりました。
次はドナーの件です。
現状で最終同意に持ち込めそうな候補者はたった1名だそうです。
その方が駄目だったら、臍帯血移植もしくは姉のハプロ移植となる説明を受けました。
ハプロ移植となるとこの病院で出来ないので転院になると言われたので、私はこの時点で「転院は考えられない」事を主治医に伝えました。
主治医の話はまだまだ続き
- 移植の生着不全
- 急性GVHD
- PET-CTのもう一つの薄い光りが4クール後のPET-CTで寛解しなかった場合
- 移植後再発した場合の次の治療
主治医の先の見通しを踏まえての良いことも悪いことも全て話してくれる説明に
ホンマにこの病院に転院してきて良かった!!
この主治医に出会えて良かった!!
そう思いました。
さすがに一緒に聞いていた家族は専門用語の続出に難しい部分もあったようですが、私が理解していたら大丈夫ですから(^_^)v
生検部位の痛みはその後数日で治まってきて杖にそれほどの体重をかけなくても歩けるようになってきました。
そして検査の結果も悪いものではなかったし、整形の先生も杖の必要性はない感じでしたので、S病院の頃からついていた杖をなくす方向で、また筋力回復に向けてリハビリが始まりました。
出入り自由な無菌室
血球が下がり無菌室へ移動
そんな中、白血球が下がったので無菌室へ移動になりました。
WBC 80(2018/09/25)
WBC 110(2018/09/27)
無菌室の見取り図
この無菌室の見取り図はこんな感じです👇
この病院に転院するまでの2つの病院は、血液内科病棟の中に「クリーンルームエリア」があったのでエリアごと隔離されていました。
この病院はクリーンルームエリアがなく廊下に無菌室が並んでいます。
高価なN95マスクを装着
また、シャワーの時だけ無菌室の外の浴室のシャワーを使ってよいとなっていたので、24時間無菌室に引きこもりではありませんでした。
更に主治医が無菌室にこもっていては筋力が更に低下するので、リハビリの時間と自身で歩く練習をするのに、人気のない廊下を歩いて良いことになりました。
その際に、必ず「N95マスク」を装着するようにと与えられました👇
画像参照 3Mホームページ
このN95マスクは鼻の部分に針金が入っていてフィットするように作られています。
隙間を作ると意味がないので装着して少々息苦しければOKで、看護師さんが装着方法を指導して下さいました。
このマスクを装着し無菌室の外に出て1日3回以上は廊下に出て歩く練習を自主的に行いました。
マスクは高価なので5日間再利用で、無菌室に戻ったらマスクに付着したウィルスを備え付けの除菌クロスで拭いて手を洗います。
リハビリ・歩く練習・シャワータイムと無菌室から出る事も多かったので、無菌室生活は全く苦にならず白血球を上げる注射(G-CSF製剤)のお陰で1週間で白血球が急激に上がり急遽退院が決定しました。
続きの記事はこちらです👇
最後に
長い記事を最後までお読み頂きありがとうございました。
白血病の治療はとても過酷ですが、3つの病院で抗癌剤治療を受けて思った事は「気持ち次第で体調に変化がある」ということです。
私は始めのがんセンターでは白血病の治療が初めてだった事もあり、また気持ちが海の底よりも深く落ち込んでいました。
そんな状態で抗癌剤治療を受けると同じ副作用でも、体の捉え方が違うのだと思います。
現在この記事を読んで下さった方で、治療が辛くて過去の私のように良からぬ考えが浮かぶ方は、どうか医師と正面から向き合ってほしいです。
医師の話し方などにより納得した答えが出ないかも知れません。
だけど、自分の気持ちを何度もぶつけてみることは大切なことだと思います<(_ _)>