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みっふぃかかと申します。
私の病名はPH陽性急性リンパ性白血病という病気です。
2017年8月に悪性リンパ腫と診断され治療を続けてきた私は、同年11月にPH陽性急性リンパ性白血病に診断が変わりました。
それがきっかけで病院への不信感や抗癌剤の副作用で、一度は治療に背を向け入院中の病院から家に帰り死の決意をしました。
その後、このままで良いのか悩みもう一度治療を再開することになりました。
このブログはその闘病記録を綴っています。
前回の記事はこちらです👇
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移植時に必要な入院グッズ
急遽決まった一時退院の期間は約1週間。
今回の一時退院は久しぶりに心身ともにゆっくり過ごせました。
5月のS病院の治療から転院・PET検査・針生検と目まぐるしく環境も気持ちも変化して疲れていたと思いますが、気候もよく清々しい気持ちで次の4クール目に挑む気持ちがありました。
また、移植前の退院期間は家族と出かけたり有意義に過ごしたいので、今回の一時退院期間に移植時に必要な入院グッズの買い物を済ませました。
- マクラ
- スリッパ
- 紙コップ
- 個包装の食材
- シャンプー
- ボディソープ
- 下着(洗い買えで10セット)
- 歯ブラシ
- スキンケアセット
- ボディケアセット
- 除菌ティッシュ
- メモ帳
この記事を書いている現在思いつくだけで、こんなにたくさんあります。
たぶん他にもまだあったと思います💦
そして当時購入したグッズの中で「これは買ってよかった」と思える入院グッズがあります。
私は冷え性なのもあり入院中は熱がなくても寒気がすることがあったので、電気で温められる湯たんぽは重宝しました。
4クール目の入院「MA療法」
1週間はあっという間に過ぎ4クール目の入院当日になりました。
採血・心電図・胸部レントゲンとお決まりのコースを済ませデイルームに昼食へ。
既に患者さんが何人かいらっしゃり、初対面なのにいろいろと話ができました。
一人だけ入院患者とは思えないジョギングの帰りに病院寄った?って感じの患者さんが居らして、トレーニングウェアに身を包み超アクティブな姿と会話にとても元気付けられました🎵
新しい主治医
昼食後に病室で過ごしていると主治医ともう一人の医師がいらっしゃいました。
「今回の入院から、こちらの○○が主治医となり、私は担当医という形で二人体制でフォローさせてもらいます」
と元主治医の○先生。
「初めまして。○○です。よろしくお願いします」
○○先生は女性なのですが、サバサバしてて男の先生みたいな感じでした(^-^;
今回は腕のピックではなく、移植に向けて血管を温存するため針の点滴で抗癌剤を入れる話と退院での家での様子を聞かれました。
「久しぶりにゆっくり過ごせた気がします。
ただ手先と足の痺れがピークです。
家で料理する時、ジャガイモの皮を剥くときに何度も手を滑らせました」
「それは主婦のみっふぃかかさんにとって辛い事実ですね。
今回は直接痺れを引き起こす、オンコビンはないのでそれ以上強くなる可能性は低いですが、メソトレキセートもピリピリした感覚になる方もいますので何かあれば伝えて下さい」
今回の治療は「Hyper-CVAD/MA療法(ハイパーシーバッドエムエー)」のMA療法です。
・メソトレキセート(24時間x1回)
・キロサイド(3日間に4回、各2時間)
他にもステロイドの目薬等がありました。
S病院でもMA療法は体験しているので特別怖くはありませんでした。
ピック挿入もなく3日で腕が自由になると思うと頑張ろうと意欲が沸いてきました。
早速、今日の夜から水の点滴が始まるのでルートを確保するために、新しい主治医の○○先生=サバサバ先生が針を入れてくれました。
※○○だらけでヤヤコシイのでサバサバ先生とします
快適な大部屋の入院生活は存在するか
4人部屋のメンバーの内、前回の3クール目の入院でデイルームでお話して顔見知りになった方が2名、そして今日のお昼にデイルームでご一緒したアクティブな方と同じ部屋でした。
今まで他の病院でいろんな大部屋での入院生活を体験してきましたが、結構な当たりはずれがありました。
快適な大部屋入院生活なんて存在しないと思っていましたが、今回の環境は本当に恵まれていました。
メソトレキセート抜きの髄注
これまで私は髄注で痺れの副作用が酷く、今回はメソトレキセート抜きですることになりました。
キロサイドとステロイドのみの髄注だと強烈な痺れ(炭酸が体中を駆け巡るような)が襲ってきませんでした。
サバサバ先生は手技がとても上手でした。
看護士さん情報によると、産休で休んでいて10月に復帰されたところで以前からマルクや髄注などもサッとこなす先生という事でした。
サバサバ先生、小さいお子さんがいるんや~👶
そう思うと嬉しくなりました!
しかも手技が上手なのは怖がりの私にとってこの上ない安心感💛
4クール目のMA療法はメソトレキセートの面倒な尿測等はありましたが、吐き気等も何とか気合いで乗り切り、全ての抗癌剤が終わり点滴のルートも外れて晴れて自由の身になりました。
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人の寿命は生まれた時に決まる
- 楽しい大部屋で過ごす
- デイルームでいろいろな方とおしゃべりしながら食事
- 一人で庭園を散歩したりコンビニで買い物
- 廊下で歩く練習
転院してきてからの4クール目は、私がこれまでに味わった事のない「楽しい」と思えるほどの入院生活でした。
ここの病院は20代から70代くらいまで患者さんの年代の幅が広く、中にはお子さんがいらっしゃる方も居ました。
がんセンターでは心が病み過ぎて他の患者さんと話すのも辛かった私は、こんな風に楽しいと思える入院生活が存在するのだと思いました。
庭園のベンチに座り空を見上げると1年前に絶望してドン底に居た自分を思い出しました。
今はこうして底から這い上がり、入院生活を楽しめている私が居る事をあの時の自分に教えてあげたかった。
そうすれば家族を巻き込みあんなに苦しい想いをせずに済んだのに...
人の寿命は生まれた時に決まる
昔誰かにそう聞いてからずっとそうなんだと思っています。
生死を左右する運命や奇跡・災いは全て生まれた時に決まっていると。
がんセンターで治療をやめ家に戻った時、車で15分程離れた距離に住んでいる母はよく家に来てくれました。
「死」を決意した40代の娘と70代の母。
あの時母は私に言いました。
「母さんはあんたが死ぬなんて思ってない」
根拠なんて一つもなく、ただそう願っていたのだろうと思います。
残念ながら「白血病」は簡単に退治できる病気でなく、その後5月に再発したのですが...
だけど今こうして前向きに治療が出来ている事は、母の言葉は正解だったと思いました。
家では生活できないけど入院していても生きている事にかわりないのだから...
10月の外の空気は心地よくて暇があればベンチに座りいろいろな想いが頭を駆け巡りました。
今日、明日が楽しければそれでいい。
先のことなんて考えずにいよう。
私がこれから生きるか死ぬかは神様が決めることだから。
無菌室へ移動
突然、看護副士長さんが
「○○さーん。無菌室が空いたから今から移動してもらわなあかんねん」
と採血結果と共に病室に来られました。
白血球の値は130!
「えー?!今回は大部屋でアイソレーターって聞いていてそのつもりでした(^-^;
このお部屋楽しいですし」
「ごめんね~無菌室が空いちゃったのよ」
この病院の無菌室は8部屋しかなくて、移植や治療で全ての無菌室が埋まっていると大部屋にアイソレーターを持ってきてクリーン状態を作ります。
今回の4クール目は無菌室が移植の方などで埋まっていて、私は血球が下がっても無菌室ではなくアイソレーターで対応と言われていました。
大部屋の皆さんも移動を残念がってくれ移動する時に、ほんの数メートルの距離なのに無菌室前までお見送りしてくれました(*´ω`*)
荷物を整理して無菌室の「シーン」とした部屋で寝転がる。
大部屋と違い洗面やトイレは自分専用で使えテレビやラジオをイヤホンなしで聞けるのは無菌室のいいところだけど...
この部屋の空気しか吸えないのがイヤ( -д-)
でも、3クール目の治療のように、またN95マスクをして歩く練習をすることができました。
廊下で歩く練習をしていると先日まで同じ大部屋だったアクティブな患者さんに会い
「そのマスク祖父が農薬散布の時に使ってた!!」
と笑かしてくれました(*^^*)
〇先生には他の患者さんと接触してはいけないと言われましたが、2メートルくらい離れて少し会話するだけで気持ちも違いました(*^^*)
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ドナーさんありがとう!!移植日の決定
翌日、無菌室にサバサバ先生が来られて
「今日は嬉しいお知らせですよ。
ドナーさんが最終同意してくれました!
移植日も11月○○日で決定ですよ!」
( ゚д゚)ポカーン
もうドナーさんはたった一人しか話が進んでいないので、臍帯血で移植だな~と思っていたので突然の主治医からの報告でびっくりしました!
「ありがとうございます。同意してくれると思ってなかったので嬉しいです!!」
「そうですね。私も嬉しいですよ」
先生が出て行って一人になるとなんだか涙が溢れてきました。
臍帯血の移植はドナーの移植と比べて正着不全の確率が少し高いのです
それでも○先生から9月の説明で聞いていた通り、検査を受けてくれた一人のドナーさんの同意がなければ臍帯血と思って今日まで過ごしてきました。
臍帯血移植は他の移植と比べて生存率などは遜色ないと聞いていましたが、同時に正着不全のパーセンテージの違いも説明されました。
運命がいい方に動いているかも知れない
そう思いました。
今の気持ちを忘れないように手元にあったテレビカードに気持ちを書きました。
※あの日以来財布に入れています
その後、底を這うような白血球の値が続き、連日白血球を上げる注射・血小板輸血・赤血球輸血をして過ごしました。
注射のお陰で一気に白血球は上昇しクリーンアウトになりました。
今回はすぐに退院でなくマルク・呼吸機能検査をしてからの退院でした。
また3回目のPET-CTの予約をとり約3週間ぶりに家に帰りました。
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