私の病名はPH陽性急性リンパ性白血病です。
2017年の7月に左足の股関節の痛みがありました。
当時は小中学生の3人の子供達の母親として、会社員の夫の妻として、また週に2日程のパートにも行っていました。
左足の股関節の痛みは少しずつ増していきました。
でも子供達の習い事の送迎やパートや家事など、毎日忙しくしていたので病院に行くのは後回しにしていたのです。
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- 股関節の痛みはまさかの病的骨折
- 腫瘍があるためにその部分の骨が脆弱
- 病理診断でわかった悪性リンパ腫
- びまん性大細胞型B細胞リンパ腫と確定
- 迫りくる嫌な予感
- 血液内科病棟が怖い
- 当時を振り返る「白血病と診断された時の心境」
股関節の痛みはまさかの病的骨折
痛みの原因は何?
痛みに耐えながらも普通に生活を送り3週間くらいが経ちました。
そう思ってようやく7月の末に近所の整形クリニックを受診しました。
レントゲン撮影すると左足の股関節付近の骨の中に、楕円形の水が入ったような状態になっている部分があると言われました。
クリニックの先生は
「これはレントゲン撮影でごくたまにみつかるのですが...
簡単にいうと骨の中が空洞化というか水の固まりみたいになっている状態です。
通常は痛みなどはなく心配ないことが多いのですが、あなたの場合は痛みもあるし念のため提携のクリニックでMRI検査をしましょう」
という事になりました。
数日後に検査結果を聞きに行くと...
「この左足の股関節、大腿骨の骨頭部分に何か腫瘍のようなものがあります。
当クリニックでは判断できないので専門の病院を紹介します」
とがんセンターを紹介されました。
この時の私の気持ちは「嫌な予感」でいっぱいでした。
股関節の痛みがある上に何か腫瘍のようなものがあるなんて...
この状況で楽観的になれる人なんていないでしょう。
痛みの原因は病的骨折
数日後に紹介されたがんセンターに初診で行くと
「あなた骨折していますよ。よく歩けるね。痛くないの?
それ以上荷重したら完全に骨が折れて取り返しがつかなくなりますよ」
整形の医師にそう言われました。
やけに合点がいったのも束の間、これ以上左足に荷重をしたら危険なので車いすに乗ることに。
そして家に帰ることはできずに即日入院となりベッドで安静を言い渡されました。
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腫瘍があるためにその部分の骨が脆弱
クリニックのレントゲンで映っていた「水の固まりのような状態」の部分は、小転子という部位です。
その小転子部分は放置していても問題ないとがんセンターの医師に説明されました。
MRIの画像では大腿骨の骨頭から約7センチ程の腫瘍があることがわかりました。
- 骨折していた部位はその小転子から少し離れた場所
- 骨折した理由は腫瘍があるためにその部分の骨が脆弱(もろくて弱い)状態
- その腫瘍が良性か悪性かは生検手術で骨を削り病理診断してみないとわからない
骨折は病的骨折といって腫瘍で脆弱していてジワジワとヒビが入った状態です。
これ以上左足に体重をかけると完全骨折の危険があるので免荷=車イス生活が始まりました。
ここはがんセンターの整形病棟です。
病棟内を車いすで散歩がてら移動した時、片足を切断した方・膝に人工関節が入ってる方などが入院していて、殆どの方が抗癌剤の副作用である脱毛により頭はツルツルでした。
3度の出産しか入院を経験した事のない私は、ものすごく遠い世界へ引き込まれた気がしました。
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病理診断でわかった悪性リンパ腫
生検で採取するのは腫瘍組織の一部のみ
入院してから1週間後に腫瘍が良性か悪性を調べるために、全身麻酔下での生検手術が行われました。
今回、組織を採取するのは約7センチの腫瘍のごく一部分です。
これは素人の考えでは、
どうせ手術するならいっそのこと7センチを取り除けばいいやん
そう思いがちです(^^;)
でも腫瘍が良性なら全てを取り除く必要はありません。
しかも、人間の骨の中で一番固い大腿骨ですから、そんな7センチも削り取るなんて簡単なことではありません。
また、これが悪性の場合でもそれが出来ない理由があるとがんセンターの医師から説明を受けました。
生検によって播種(はしゅ=腫瘍の細胞が元の部位以外に広がること)を起こす危険性が高い
だから、採取するのは約7センチの腫瘍のごく一部分なのです。
また、クリニックのレントゲンで映っていた「水の固まりのような状態」の小転子部分の組織も採取しないと説明されました。
理由は明らかに放置で大丈夫だから。
10年・20年というスパンでこの部分が大きくなり、骨折しやすい状況になってきたら手術する場合もあるが、問題はないということでした。
生まれて初めての全身麻酔。
ドラマで見た手術室の光景が目の前で広がります。
痛みの感覚と同時に目が覚めて無事に終わったと思いました。
股関節付近の大腿骨を削った為、その周りの筋肉や筋が傷ついてるから当然痛いです。
それよりも怖いのは採取した組織が悪性であることです。
生検術の診断結果とがん告知
次の日の夕方。
私と主人と中学生の娘が別室に呼ばれました。
「結果は悪性。
血液癌の悪性リンパ腫である可能性が高い」
整形の主治医に言われました。
もう、近所の整形クリニックからこのがんセンターを紹介された時点で薄々は悪性である事を受け入れていました。
私自身は妙に落ち着いていて特に取り乱す事もないがん告知でした。
病的骨折をした血液癌患者
その後、正確な病理診断が出るまで2週間かかりました。
車いす生活をしながら血液内科を受診して、悪性リンパ腫の説明を受けたりしながら決断をする事が1つありました。
整形医師と血液内科医師の考え方の違い
整形の主治医には
「最低でも3ヶ月足を着けない生活は大変、悪性の部分を切り取って人工関節を入れてもいいレベルではある。
ただし今後生きて行く事を考えると自然に骨がくっつき自分の骨である事が望ましい。
ただ、きれいに元通りになるとはわからない」
と言われました。
血液内科の主治医には
「悪性リンパ腫は全身病だから骨を削って取り除いても意味がない。
無駄な手術になるから確定診断が出たら1日も早く抗がん剤治療を始めるのが望ましい」
と言われました。
私は素人です。
だけど自分でこの答えを出さねばなりません。
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びまん性大細胞型B細胞リンパ腫と確定
私は決めました。
そして生検手術から2週間後に病理診断の結果がでました。
悪性リンパ腫のびまん性大細胞型B細胞リンパ腫と診断されました。
抗癌剤治療の名前はR-CHOP療法
人工股関節置換術をしない選択をした私は、確定診断後すぐに抗癌剤治療と初めてのマルクをしました。
R-CHOP療法(リツキシマブ+シクロホスファミド+ドキソルビシン+ビンクリスチン+プレドニゾロン)という、悪性リンパ腫の世界ではメジャーな治療の1クール目が始まりました。
全8クール又は4クール+放射線治療
R-CHOP療法は全8クール又は4クール+放射線治療を選択できます。
私の場合は病的骨折部位の骨の経過を診ながらの治療なので、この時点では決まっていませんでした。
私の課題は抗癌剤治療と平行で松葉杖を習得する事
即日入院してから1ヶ月が経とうとしていたので、1日も早く家に帰りたい一心で術後の痛みと闘いつつ、リハビリで松葉杖の習得に励みました。
本当は血液内科病棟に移るべきでしたが、血液内科病棟はベッドが満床でした。
私も既に1カ月も過ごしている整形病棟の看護師さんや大部屋の患者さんとも打ち解けていたのでちょうど良かったです。
整形病棟では車いすや歩行器・松葉杖での患者さんも多く、リハビリにも励みやすい環境で楽しく笑う日もよくありました。
スマホで調べるとびまん性大細胞型B細胞リンパ腫は、8割の方が抗癌剤だけで治るリンパ腫だとありました。
それくらいの気持ちでいられるように自己暗示をかけていました。
松葉杖を習得して退院
R-CHOP療法の1クール目の後、好中球が回復したら退院ですと言われてからは、リハビリの時間だけでなく病棟で過ごす大部分を松葉杖の練習に励みました。
そして、9月の中頃にやっと退院できたのです。
久々の家での生活は嬉しかったのですが、家族がそれぞれ会社や学校に行った後に一人になると、何故か悪い方向に考えが及びました。
入院中は他の患者さんと話したりして気が紛れていたのでしょう。
あんなに病棟で松葉杖の練習をしていたのに、外に出ようという気は全くおこりませんでした。
このがんセンターではR-CHOP療法の2クール目は外来の化学療法室でするのが原則です。
だけど松葉杖をついている私の場合は、2日連続のR-CHOP療法は移動が大変で転倒の危険もあるため、血液内科の主治医の意向で1週間程度の入院で2クール目をしましょうとなりました。
だから次の入院までの約1週間はベランダにも出ず引きこもりで過ごしました。
松葉杖をつきながらのトイレやシャワー、夕食の準備だけでもかなり大変なのでリハビリにはなっていました。
R-CHOP療法2クール目の再入院
数日経ち2クール目の入院日になりました。
タクシーで病院に到着して病棟に上がるまでかなりの距離です。
今回は血液内科病棟での入院です。
なんだか整形病棟と違い扉が二重で重苦しい雰囲気でした。
病室に案内されてから看護士さんや看護助手さんの雰囲気も整形病棟とは違う。
同じ大部屋の方とも一言も挨拶もできそうにない雰囲気...
そう思いました。
次の日から早速2日連続の抗癌剤をして、やっぱり整形病棟とは違う雰囲気に息が詰まりそうでした。
松葉杖をついている患者さんも皆無で私は浮いている気がしました。
マルクの結果はどうだったの?
整形病棟で入院中に行ったマルクの結果を主治医に尋ねたら
「見た目はきれいだったけど、染色体異常がありもう一度詳しい検査をしている」
みたいな事を言われました。
なんか腑に落ちない嫌な予感がする返答でした。
主治医は更に
「もし大変なら3クール目も入院でする?」
と聞いてきたので、私は首を横に振りながら断りました。
この病棟の雰囲気に耐えられそうにない。
2日連続の松葉杖の移動は大変でも、是非とも外来で抗癌剤治療をがんばりたいと思いました。
その後1週間ほどで退院してからは、血球が下がるタイミングで白血球を上げる注射の通院、また数日後に整形の通院と頻繁な通院がありました。
R-CHOP療法3クール目
2日連続の外来化学療法室での3クール目が始まりました。
外来での抗癌剤も大変だな~
あと5クールか~
それにしても、なんか息苦しい
マルクの結果もグレーだし…
夏が終わり10月に突入していました。
松葉杖の生活にも慣れてきて、週末に家族で車で近場の公園に出かけたこともありました。
だけど、荷物を持つ買い物などは危ない気がして積極的に1人で外に出かける事はありませんでした。
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迫りくる嫌な予感
腫瘍マーカーの値が異常
そんな日常を送っている毎日の中、息苦しい感じが気のせいではなくなってきました。
特に上を向いた時に苦しい。
ちょうど整形の外来受診があったので、血液内科の受付に行き苦しい事を伝え主治医に緊急で診てもらいました。
採血と胸のレントゲンを取り診察へ...
「今まで伝えていなかったけど採血の項目で8月から急激に上がっている腫瘍マーカーがあり、今日は通常300くらいの値が3000くらいの10倍になっている。
ただ、白血球やその他の値は正常で、採血だけでは何ともいえない」
みたいな事を主治医に言われました。
そしてこれまでに撮影した事がないPET- CT を撮って来てほしいと言われ、数日後に検査に行きました。
この時、母に付き添ってもらい初めてタクシーではなく電車で移動しました。
先日の整形の診察で松葉杖が片方だけになったのです。
そのうち骨もくっついて二本の足だけで歩ける日も近い!
そう自分に言い聞かせてPET検査から帰宅したその日に主治医から電話が...
「もう一度マルクをさせてほしい。明日来てほしい」
そう言われました。
1回目のマルクの結果を聞いてから、ずっと頭の片隅に追いやっていた恐怖が一気に襲ってきました。
翌日、マルクの為に病院へ。
明日はPET- CT の結果が出る日。
もう私の頭の中は悪い方向にしか進んでいませんでした。
絶望の始まり
診察室に入り主治医が
「今回のマルクの結果、悪い細胞が見つかった。
PETの結果は8月に生検手術した部位ではなく、その近くの部位が光っている。
悪性リンパ腫の治療中にもかかわらずマルクで悪い細胞が出て、しかもPET-CT画像で他の部位が光っているとは敵は相当厄介である。
明日から入院してほしい。今までとは違う抗癌剤で悪性リンパ腫の治療をはじめる」
そう言われました。
私は8月の手術で整形の医師に生検では採取しなかった小転子部分が光っているのでは?と主治医に問いかけました。
その時、主治医は整形の医師に確認してくれましたが、結局マルクで陽性が見つかっているのでそこは重要視されませんでした。
明日から入院?
1クール1ヶ月の入院を4クール?
しかも初めの抗癌剤で抑えきれなければ薬剤を変えてまた4クール?
今まで、松葉杖で頑張って生活してきて2本の足だけで歩ける日を目指して、不安な気持ちを必死に押さえ込み、夜家族が寝静まってから一人で泣き、どうにか精神を保ってきた心に亀裂が入りはじめました。
「治療をしなければどうなりますか?」
「数週間で余命を宣告する事になる」
と言われました。
主治医は私が明日入院すると言うまで引き下がりませんでした。
無言のまま時間が過ぎたり思い立ったように質問をしたり、胸のうちを打ち明けたり。
診察室に入り一時間近く経ったかも知れません。
付き添いの姉にも入院を勧められ観念しました。
家に帰り、主人と子供達、母に明日から入院する事になった経緯を泣きながら伝えました。
この時は、まるで子供達と過ごす最後の夜のような気がしました。
即日入院からこの日まで、わりと前向きに頑張ってきた私も、もうこの先に幸せは2度とやってこない気がしました。
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血液内科病棟が怖い
朝になり、泣きながら主人や子供達を見送り母に付き添ってもらい病院へ到着しました。
2度と来たくないと思った血液内科病棟にまた来てしまった。
クラークの方の病棟の説明が前回のR -chopの入院時と違い、食べ物の禁止事項や使用していいシャワー室(一人が使用する度に掃除が入る)等々、他にも厳しい決まりが多くありました。
血液内科病棟の空気がしんどい。
そんな事を感じながら、次の日から早速抗癌剤が始まりました。
精神的に参っていたので何の薬剤。どんな療法だったか等は覚えていません。
その日は計3本の薬が入る予定だったのに、1本目を入れた後に担当医が来て、主治医が待つ別室に呼ばれました。
「先日のマルクの詳しい結果で、悪性リンパ腫とは違う病気の可能性が高い」
そう言われました。
はぁ?
ナンデスカソレハ?
なんか順番が違う気がしました。
悪性リンパ腫ではない...
5秒くらい考えて、あの病気しかないだろうとひらめきました。
「白血病ですか?」
「その可能性が高いです」
「8月の手術の時からですか?」
「今、病理に再診断を依頼してます」
その後、悪性リンパ腫と白血病に同時にかかる可能性は極めて低い事、今回の治療は保留で、数日後にわかる詳細な検査で白血病の型が決まり次第治療を始めると説明を受けました。
どちらにしろ何ヵ月もの入院は余儀なくされるし、どっちでもいい...
そんな感じでした。
それより、明日は土曜日だ。
治療が保留なら外泊させてと主治医に頼みました。
今日、抗癌剤を一本入れただけなのですぐには血球も下がらないから🆗が出ました。
子供達を泣きながら見送った2日後にまた自宅に帰る事が出来ました。
1泊2日だけど病院より家に帰りたい。
明るく元気な母親にはなれないけど、普通に一緒にご飯を食べて、同じ空気を吸うこと。
そんな当たり前と思っていた日常は一瞬で破壊されました。
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PH陽性(フィラデルフィア陽性)急性リンパ性白血病
日曜の夜に病院に戻りその次の日に遂に
「PH陽性(フィラデルフィア陽性)急性リンパ性白血病」
と診断されました。
もちろん、移植の説明もセットで受けました。
そして極めつけに...
「8月の病理診断の再検査の結果、あの採取した時から白血病で悪性リンパ腫ではありませんでした」
えっ⁉診断ミスやん。
だけど、目の前の主治医には本音をぶつけることができませんでした。
「初めから白血病と診断され移植の説明をされてたら、あんなに松葉杖のリハビリを頑張れなかったと思う」
主治医にこのように伝えました。
それは本当の気持ちです。
8月のあの即日入院した時の確定診断で
「PH陽性(フィラデルフィア陽性)急性リンパ性白血病」
と病名がつき移植の説明を受けていたら、股関節の病的骨折だけでなく心もバキバキに折れたことでしょう。
こんな2本足で歩けない体でどうやって移植を乗り切れるというのか...
きっとそう思ったに違いないと私は思いました。
でも、初めからみつけてほしかった。
私の今までの頑張りと時間を返してほしい。
だけど、そんな風にも思いました。
モヤモヤとしたものを抱えながら白血病の治療が始まって行きました...
当時を振り返る「白血病と診断された時の心境」
8月の初めから11月の中旬という3ヶ月ほどでようやく白血病と診断されました。
後々わかる事ですが、「腫瘍型」という珍しいタイプの白血病です。
2019年の現在、お世話になっている3件目の病院の主治医には、当時の状況についてこのように説明されました。
「2017年8月の病理診断の時点で白血病と診断するには難しい。
初めから狙って検査をしないとリンパ腫と診断されるでしょうね。
みっふぃかかさんがはじめからここの病院に来ていても同じ診断だったと思います」
こう説明してくれました。
これをあの頃の自分に聞かせたかったな。
この3件目の現在の主治医は、私にとってマイナスな事もプラスな事も包み隠さず全て話してくれます。
あまりにハッキリと話されるので「厳しい~」と思う事もありますが本当に信頼できます。
初めの病院のがんセンターの主治医は基本的に優しくて、11月から精神を病みはじめた私にいつも寄り添ってくれました。
病室で一時間近く話してくれた事もあります。
私だけでなく他の患者さんに対してもです。
外来の診察待ちで30分くらい患者さんが出てこない時もありました。
私も入院を説得されたあの日は、他の患者さんを長時間待たせてしまいました。
あの主治医においては巷で言われる3分診療とかありません。
初めの病院と血液内科病棟は今でも思い出したくありませんが、お世話になった当時の主治医だけには、移植して元気に過ごしている事をいつか伝えたいです。
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