今日は娘の高校の入学式の予定でしたが緊急事態宣言が発令されて式は中止となりました。
私は2年前、15歳になった娘の高校の入学式を天国から見守ろうとしていました。
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白血病宣告で生きる希望を無くした母親
私は「PH陽性急性リンパ性白血病」という病気です。
この病気は診断されたら大概の方が即日入院になります。
私の場合、初めて付いた診断名が「悪性リンパ腫」という同じく血液の癌で、この癌細胞が原因で股関節部位を病的骨折していた為に即日入院となりました。
その「悪性リンパ腫」の治療から3ヶ月経った頃、病院側から「やっぱり白血病でした」と診断名が訂正され、1から治療をやり直す事になりました。
それからというもの、病院への不信感と共に既に長期に渡る入院生活をしていた私は、血液内科病棟に居る全ての人に心を開く事ができず、精神的にも肉体的(松葉杖を使用)にも辛い入院生活を送っていました。
そんな中で2017年の冬に生きる希望を無くしてしまったのです。
※2020年の現在はドナーさんの造血幹細胞移植をして退院し、免疫は弱いですが日常生活を送っています。
闘病の詳細はこちらの「闘病記録」にまとめています。
白血病治療を投げ出し家に帰った母親
当時は病棟に自分の居場所はなく、最後に「お母さんの仕事」をするために家に帰る決断をしました。
もちろん急性の白血病なので、そんな事をしたらすぐに白血病細胞が暴れ死に至るので主人は大反対しましたが、既に精神が崩壊していたのです。
家に帰ると子供達と過ごせる当たり前の生活が其処にあり、「もしかしたらこのまま生き続けることが出来るかも知れない」なんて考えさえ浮かびました。
だけど、夜になると現実味が帯びてきて死の恐怖との闘いでした。
昼間に遺書(手紙)を書いた母親
子供達や主人が学校や会社に行っている間に遺書(手紙)を書きました。
主人、実母、娘、息子二人分。
特に、当事中学1年生だった娘には、まだまだ伝えたい事が山ほどあるのに、どうしてこんな事をしているのだろうと何度も自分を悔やみました。
手紙を書きながら涙で手元が見えないくらい泣きました。
当事書いた手紙はまだそのまま残しています。
娘には
- 14歳になった○○へ
- 15歳になった○○へ
- 高校生になった○○へ
- 高校生活を楽しんでいる○○へ
- 高校を卒業した○○へ
- 20歳になった○○へ
- 社会人になった○○へ
7通の手紙を書きました。
現在、娘は15歳で高校生になりました。
高校生になった娘へ
この娘宛の手紙を私がこの先も生きて、笑い話にできるくらいの月日が経ったら渡そうと思っています。
「高校生になった娘へ」の手紙を2年前に書いたあの日。
私はその過去とサヨナラする事ができました。
天国からではなく、この目でしっかりと女子高生になった娘の制服姿を見る事ができました。
先月の娘の中学の卒業式には私が肺炎で体調を崩し参加できなかったので、何が何でも高校の入学式には参加したかったのですが仕方ありません。
今日、娘は高校の制服・私はスーツを着て一緒に写真を撮りました(^^;)
産まれてきてくれてありがとう。
そして入学おめでとう!!
華のJKのお母さんになれて嬉しいよ(^^♪
最後に
赤ちゃんだった娘が高校生になりこうして生きて立ち会える事の喜び。
我が家には入学式を終え中学1年生になった息子と5年生になった息子もいます。
健康で何不自由なく過ごしていた頃は
「子供の成長を当たり前に見守れると思っていた自分」
がいました。
二十歳になった娘や息子の未来を当たり前に想像していました。
今は残念ながらその想いは「希望」でしかなくなりましたが、近い未来だけを楽しみに日々を楽しく過ごして行きたいです。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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