私の病名はPH陽性急性リンパ性白血病です。
この記事は2017年12月の話です。
2017年8月に悪性リンパ腫と診断され治療を続けてきた私は、同年11月にPH陽性急性リンパ性白血病に診断が変わりました。
前回の記事はこちらです👇
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- 治療をストップした白血病患者
- 白血病の治療を止めて自宅で過ごした日々
- 私が亡くなると想定して準備したリアルな終活
- 在宅医療と緩和ケア病院とメンタルクリニック
- 異常な白血球の低下
- 菌に侵されたら即死亡!!家の中も怖かった
- 遂に病院へ 。この状況でインフルの検査をする病院
- 消化器病棟に入院する白血病患者
- よくこの数字で生きていた「好中球が70」
- 最後に
治療をストップした白血病患者
一人だけ治療に背を向け違う方向に進もうとして、自分の居場所がなかったあの息苦しい血液内科病棟から解放され少しだけホッとしました。
当時の私は治療や移植が怖いのもあるけど、あの病棟自体が怖くなっていたのです。
白血病の抗癌剤治療をストップしていた患者は誰から見てもややこしい患者なのです。
病室で話を聞いてくれる主治医だけが優しかったです。
家に帰ってからも相変わらず不眠は続いていましたが、我が家という安全地帯に避難できたようで、年末を迎える頃には家族でスーパーに行ったりできるようになっていました。
病棟で歩く練習を頑張っていたので、もう見た目は普通に歩けるようになっていました。
笑顔が戻る時もありました。
だけど夜になると、先の不安しか浮かんでこないのです。
まだ小さい子供達の為にも生きなければ…
でも移植で障害が残って家族に迷惑をかけるのは嫌だ…
移植しても再発したり、感染症で再入院したり迷惑をかけたくない…
医療費だって払っていけるのか…
ずっと家計簿をつけてたから、この先赤字家計になる事は目に見えている…
いっそ亡くなってしまう方が家計的には…
こんな事ばかり浮かんできます。
いい事が一つも浮かばないのです。
入院中は頭痛が酷くスマホを殆ど触れなかったので、孤島に取り残された人間みたいに闘病中の情報を得る事もありませんでした。
主人は1クール目の入院途中から私の悪い考えを取り除こうと必死でした。
「入院中で再発の患者さんとかを見てるから悪い方にばかり考えるけど、治して退院して病院を出たら健康な人で溢れているから、こっちの人間になったらいいねん」
そう言いました。
この人何もわかっていない。
移植の怖さを何もわかっていない。
確かに治療を辞めたいという私は主人にとって「正気か⁉」のレベルでしょう。
ずっと仕事をしながら家庭を切り盛りしてきた主人には悪いけど、移植して私が障害を背負ったら今より状況がひどくなるんだよ!
「こんな私でごめんね…
もう入院したくない。移植する気になれない。だから2クール目をしても仕方がない」
年末年始にそう結論を出しました。
年が明けてから主人は病院に電話して主治医に話しました。
明日、外来に来るように言われました。
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白血病の治療を止めて自宅で過ごした日々
診察室で自分の気持ちを全て話しました。
主治医は厳しい顔で、
「移植できないからと2クール目以降をしないという考えは違う。
同じ病名の患者さんでも高齢であったり、持病があったりで移植できない方もいらっしゃる。
抗癌剤治療8クールを選ぶ方もいる」
「診断が変わった時の説明で、PH 陽性の場合は抗癌剤治療のみだと高い確率で再発する可能性があるとお聞きしました。
初めの段階で移植ありきみたいな感じで説明を受けたので、1クール目でこんなにボロボロの私は8クールなんてとてもじゃないけど無理です」
私はそう返しました。
「その決断は、次に白血病細胞が暴れ出した時に余命を伝える事になる。本当にそれでいいのか」
と何度も確認されました。
主治医は最終的に外来でスプリセルを処方するので
「1日でも長く御家族と過ごせるように1日1日を大切に生きて下さい」
と言われその日の診察は終わりました。
その後、外来で2週間おきに採血&診察を受け、自宅では「いずれやってくる死の恐怖」と闘いながら、それでも毎日を頑張って過ごしていました。
私が亡くなると想定して準備したリアルな終活
・主人や母、子供達に手紙を書いた
・娘には二十歳までの手紙を何通か書いた
・家族がわかるようにライフラインの契約先
等の書類を説明付きで整理した
・私名義の口座やクレジットカードの解約
・子供達になるべく料理を教えた
・葬儀の資料を取り寄せある程度決めた
・遺影写真をスマホで撮影した
以上のような事をしながら、普通に家事をしたり週末には家族で出掛けたりしていました。
治療を途中で止めたから股関節の骨の行方は不安でしたが、この頃にはだいぶ歩けるようになっていました。
採血検査では白血球がかなり低空飛行だったけど、1月・2月の始めにBCR-ABL という白血病細胞の有無を調べる検査も陰性でした。
もしかするとこのまま何ヵ月も生きれるのでは?
なんて考える瞬間もありました。
精神的には毎日の中で浮き沈みがあり、やはり夜になると特に「死の恐怖」が襲ってきたので不眠は続いていましたが、家族と過ごせる事で壊れていた自分は少しだけ取り戻せていました。
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在宅医療と緩和ケア病院とメンタルクリニック
年明けすぐに診察室で主治医と話し合った後、病院のケースワーカーの方と緩和ケアがある病院と在宅医療を何処にするかという話をしました。
白血病細胞が暴れ出し「死」を迎える時「最後まで家にいたい」と返答したからです。
介護保険も余命を言い渡された場合40歳から使えるそうです。
家から一番近い緩和ケア科のある病院を選び、在宅医療も近くのクリニックに決めました。
緩和ケア外来
月に1度通院。
白血病の症状が今後どのようにでるか予想できないので、家で過ごしていて入院すべき状態になった時に診てもらう予定の病院。
在宅医療
月に1回か2回の往診。
出来るならば最後まで家にいたいと要望した為、契約を結んだクリニック。
メンタルクリニック
2週間おきに通院。
毎日を家で過ごすために、きちんと不眠を治したいと自分から訪ねたクリニック。
以上の3件は急性リンパ性白血病の治療をやめ、自宅で過ごしている間に関わった病院です。
もちろん、入院していたがんセンターにも採血の為に通院していました。
どれだけ無駄な医療費と時間を使ったのだろう
そう思います。
あの時の自分を悔やみますが、私には必要な時間だったのでしょうね…
異常な白血球の低下
WBC1200に低下
がんセンターでの2週間おきの診察で採血結果に異変が起こりました。
2月7日の血液検査で白血球が異常に下がったのです。
WBCが1200に低下していました。
がんセンターの主治医に
「もう少し様子をみないと解らないがスプリセルの影響かも知れない」
そう言われたので
「このまま飲み続けるのが不安です」
と伝えるとスプリセルを休薬することになりました。
更に下がる白血球「WBC700」
1週間後の2月14日の採血ではスプリセルを休薬したのにも関わらず、なんとWBCが700台に低下していました。
「家に居るのは非常に危険だから入院して」
主治医にそう言われました。
なんと、既に血液内科病棟のベッドを押さえていたようです。
どんな顔してあの病棟に入院するねん…
治療再開ならともかく、スプリセル飲んでただけで白血球が下がった患者やのに…
どう考えても入院は嫌だったので丁寧にお断りしました。
※今から思えばこの数値で入院しないのは自殺行為だけど当時は入院する方が怖かったのです
帰りに処置室で白血球を上げる注射「グラン」を打ち、また明日来るように言われましたが、季節は2月でインフルエンザも流行っています。
2日連続で病院に来る方が危ないと思い来週の月曜の予約にしてもらいました。
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菌に侵されたら即死亡!!家の中も怖かった
入院を断った私ですが、子供達が学校でインフルエンザウィルスをもらってきたら終わりだなと家で過ごすのも怖かったです。
それと同時にスプリセルを休止したことにより、白血病細胞が暴れ出すのも怖かった。
もう、自分で決めた道なんだ!
遅かれ早かれ私には「死」が待っているんだ。
年末から自宅に帰ってきて最後に「お母さん」として家族の側に居れて良かった。
あのまま入院していても、今よりもっともっと精神を病んでいただろう…
そんな事を考えながら家で過ごして2日経った頃の夕方、急に喉が痛くなり微熱が出はじめたのです。
それで契約している在宅医療の医師に連絡をしました。
※実はこの在宅医療の医師が嫌いでした。
本当に医者なの?と思う発言もあり、あまり関わりたくなかったのです。
体温は38℃弱。
在宅医師に診てもらって
「大した事ないね」
と言われました。
急性リンパ性白血病患者が38℃の熱を出したら基本的に命に関わるということを、おそらくこの在宅医師は重要視していないと思ったので、2日前のがんセンターの採血結果を見せました。
事情を説明すると
「そんなくだらない気持ちなんて切り捨てて今すぐ入院すべきだ!」
在宅医師は怒りはじめ、がんセンターに電話をして血液内科の主治医に連絡をとりました。
遂に病院へ 。この状況でインフルの検査をする病院
その迫力に負けて(?)がんセンターに行く事に。
その後入院の用意をして主人の帰りを待っていると、血液内科の主治医から電話があり今から用事で外出するけど早めに来てと連絡がありました。
緊急外来で採血とインフルエンザの検査をされ、
「インフルエンザが陽性なら家に帰ってもらいます」
と緊急外来の看護士に言われました。
その言葉にびっくりして主人と顔を見合わせたのを今でも覚えています(-_- )
この流れで病院に来てインフルで帰るかも?って!!!
数十分後にインフル陽性でないことがわかり、白血球も異常に低いままなので入院する事になりました。
消化器病棟に入院する白血病患者
緊急外来で待機している時、主人が看護士さんに血液内科病棟だけは避けてほしいとお願いしていました。
消化器病棟が空いていたのでそこの個室に入らせてもらいました。
部屋に案内され熱があるため両腕からの血液培養検査と抗生剤の点滴をしました。
もうこの頃の血管は潰れていて、ベテランの看護士さんでしたが何度もやり直しをされました。
よくこの数字で生きていた「好中球が70」
採血の結果は白血球が2日前と変わらず700で好中球は70でした。
それにしてもこの数値でよく家で何ともなかったなんて...
運が悪ければ感染症にかかり終わっていたかも知れない。
そんな事を考えている時、時刻は夜の11時くらいだったと思います。
「熱しんどないか?大丈夫か?大変やったね。やっぱり血液内科病棟は嫌か?」
と用事を済ますなり主治医が部屋へ入ってきました。
夜の7時くらいから用事で出かけて、わざわざこんなに遅い時間に私なんかの所に…
明日でもいいのに…
主治医は本当に患者さん想いだ。
この時、私は2日前に意地を張ってごめんなさいと反省しました。
こんなにややこしい患者にも優しい主治医に感謝しました。
本当はこの主治医となら治療を頑張れるかも知れない…
だけど、ここの血液内科病棟では頑張れそうにない。
やはり私にはどうする事もできない…
翌日からもグラン💉を打ち続けて、強烈な腰の痛みと共に白血球は一気に7000まで回復し、とりあえず退院の方向に進みました。
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スプリセルは休薬のまま今後はどうする?
主治医と今後の話し合いをしました。
- グラン注射で回復してるだけで白血球は今後下がってくる為スプリセルは当分処方できない
- スプリセルを処方できる時期がきたら量を減らして飲む気はあるか
- もう入院して抗癌剤治療はする気はないのか
正直、どうしたらいいのか解りませんでした。
ただ一つ確信してるのはがんセンターで入院し血液内科病棟で治療する気はないという事だけでした。
だけど、クリーンルームがない他の病棟で白血病の治療を出来るはずがないのです。
結局、スプリセルの再開については今後の採血を見て行かないと解らないので、また外来で診てもらう事で退院が決定しました。
最後に
この記事を書いている今から思えば、なんて恐ろしい状況を自分で作り上げていたのだろうと思います。
がんセンターの主治医は私のことを「なんて患者だ」と思っているでしょう。
私自身もあの頃は「自分で自分のことがわからない状態」でどうしたらいいのか模索しながら日々を過ごしていました。
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